いつか帰るところ

おつさまです。
出張撮影カメラマンの牧野です。

引っ越し

最近はちょっと
バタバタしておりまして

めちゃくちゃ微力ですが
引っ越しをお手伝いしていました。

自分の家ではなく
実家の引っ越し。

実家に住む両親が
もともと住んでいた一軒家

父母ふたりで住むには広すぎる
ということで

同じ市内ですが
近くのマンションへ引っ越し。

 

両親は自分たちの
人生の終わりを思い描いていて

今より年老いたときのことを
考えての決断。

まだ早いんじゃないかと思うけど
終活を着々としています。

実家が大好きな私

私は実家が大好きで

両親から引っ越すよって言われたとき
最初は受け入れられなかった。

 

実家がなくなるなんて。

 

受け入れようともしなかった。

 

そんな話をされて
過去を振り返ってみた。

 

家に帰るのが
いつも楽しみだった。

おいしいごはん

あったかいおふろ

あったかいふとん

にぎやか家族

「実家 最高~!」

これが私の口癖。

 

そして、実家で
ごはんを食べてるときは

「うま!」

もうあほみたいに連呼してた。

 

外食をほとんどしないのは

実家のごはんが
おいしすぎるから。

 

私は食べることが大好きなので

ごはんの時間が毎回しあわせ。

 

みんなで食卓を囲んで

うま!って言いながら
おいしいごはんを食べるのって

すごくしあわせ。

 

そして、この家では
本当にいろんなことがあった。

まずは、猫との暮らし。

最大で8匹の猫たちを
同時に飼っていたこともあった。

ペットも大事な家族で
その最期を見届けるつらさも知った。

あとは、きょうだいゲンカもたくさん。

私は3人きょうだいの一番下。

反抗期も結構 長くて
暴れん坊だったかも。

暴言もたくさん吐いた。

当たりどころがなくて

親に八つ当たりしまくってた気がする。

でも、どんなときでも体を張って
私と全力で向き合ってくれた。

私のことを理解してくれたうえで
いろいろ向き合ってくれたんだな。

大人になってから
親のすごさ感じますね。

ほかにもいっぱい
いろんなことがあったけど

この家はなくならないと
思っていた。

無意識のうちに

このしあわせな環境があることを

当たり前だと思っていたのかも。

 

でも、いつかはなくなるもの。

そして、両親が決断したこと。

 

与えられた残りの人生が
どれくらいかわからないけど

父と母には

負担なく、楽しく
よりよいものにしてほしい。

ふたりが納得して出した
決断であれば、と。

私は受け入れることにした。

 

そうそう

実は私の父

数年前に脳の病気で
植物人間状態だったのです。

手術する前は
めちゃくちゃ元気だったのに

手術が終わると
気づいたら集中治療室にいて

父は別人のようでした。

体じゅうに管がいっぱい。

顔も全然違った。

病院側からは

「今日 越せるかどうか」

そんなふうにも
言われていたんです。

 

そのとき私は初めて
家族が死ぬかもしれないって

恐怖を味わいました。

言葉では言い表せない感覚。

父は、集中治療室で

生死の境目をいったりきたり。

「この先 どうなるんだろう」

残されたのは絶望感だけでした。

 

でも、病院の先生たちが
驚くくらい

奇跡的に意識が戻りました。

父は言葉も
全くしゃべれなくなってしまい

何か口をもごもごさせているけど

聞き取れない。

伝えたいのに

伝わらない。

 

伝えたいのに

話せない。

 

そんなもどかしさが
相当つらかっただろうな。

リハビリがてら

自分で動かせない手を
一生懸命 使いながら

スケッチブックに
文字を書いてもらって

筆談もしました。

しばらく何も食べれず
水だけの生活で

筆談では

「〇〇が食べたい」

「〇〇が飲みたい」

そんなことが
いっぱい書かれていました。

 

そんな父の姿を見て

今の自分がどれだけ恵まれているか
実感したのを覚えています。

時間が経って 少しずつ

体が動かせるようになって

リハビリスタート。

体が動かせるー!と
調子に乗って
よく怒られていましたw

最初は
自分で動くことが全くできず

寝返りを打つこと
手をあげることもできなかったのに

超ゆっくりではありますが

今では自分ひとりで歩くことが
できるようになり

塩分や糖分をとりすぎないなど
食事に気をつけながら

ごはんも自由に
食べられるようになりました。

 

あのときの
体の状態を覚えているから

今の父は何をするにも
楽しそうで嬉しそう。

それを見て
母もすごく嬉しそう。

 

一軒家の引っ越しを

引っ越し前日の夜遅くまで
やっていた母。

業者のように

ほぼ一人でやってた。

行動力の鬼。

ただいまと言える場所

私が大声で
「ただいま~!」と言ったら

家族が「おかえり」と
迎えてくれた場所。

私が大声で
「いってきます~!」と言ったら

母親が「いってらっしゃい」と
私の姿が見えなくなるまで
見送ってくれた場所。

そして、私がいつでも
感情をむき出しにできた場所。

思い出いっぱい。

そんな大事な場所がなくなるのは

本当に悲しいけれど

私が「ただいま」と帰る場所が
ちょっと移っただけ。

私は、こう思っています。

父母の人生が今まで以上に
しあわせで素敵なものになりますように。

40年あり続けた家よ

ありがとう。

 

これからも家族で過ごす時間は

大切にしたい。

どこにいても。

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